10年前のこと

2024年03月04日



今はヨガを伝えることを生業としていますが、10年以上前は旅行代理店に勤務していました。


航空券を発券する端末の操作が苦手で仕事が覚えられず部署を飛ばされたことも、研修でイギリスを縦断して見知らぬ地を巡り歩いたことも、今となっては全てが懐かしい良い思い出です。


ほとんど愛媛県から外に出たことがなく、英語が話せない私にとって、新卒で海外旅行課に配属されたのは試練でもあり運命でもあったように振り返ります。


新しい国や文化に触れて仕事が楽しくなればなるほど、 「おいしいものを食べて、世界遺産を観て、お土産を買って...これを繰り返す先に、私は将来何をみることができるのだろう?」そんなふうに、楽しんでいる自分を冷静に俯瞰している私がいました。


大好きだった仕事を5年で退職して、地球儀でみるとクルッと日本の反対側にあるカリブ海に浮かぶ島、ドミニカ共和国へ渡ったのが、27歳の時。


華やかなOL生活から一転、電気も水も不自由なこの国には、日本にあるものがほとんどなかったけれど、日本にないものがたくさんありました。


日本にいた時は、映画をみたり、おいしいものを食べたり、旅行へ行ったり、娯楽はお金で買うものだと思っていたけれど、この国では違いました。


ドミニカ人は底抜けに陽気で、朝まで踊ったり、友達と川で泳いだり、ビーチで昼寝をしたり、おなかがすいたらココナッツやマンゴーの実を採ってみんなで食べたりして、楽しいことは全部、日常生活の中に当たり前のように溶け込んでいました。


楽しいことはお金で買うのものだと思っていた私にとって、何気ない日常の中に楽しみも幸せも溢れているドミニカ共和国での生活は、めちゃくちゃ刺激的で、当時の私の「常識」は全部、ここでは「非常識」になっていきました。


雨が降った時は、風邪をひかないように、学校も仕事もみんな雨が上がるのを待ってから、家をでていました。


私が勤めていた観光省の掃除のおばちゃんが入院した時は、上司もスタッフも仕事を放ったらかしにして、観光省を閉めて全員で病院にお見舞いに行ったこともありました。


仕事の昼休みの時間になると、スタッフたちが職場から家に電話をして「何してるの?ごはんは食べた?大好きだよ。」お母さんや、旦那さんと、他愛もない会話を毎日している様子を、私は隣で眺めていたものです。


みんな自分の大切なものがわかっていて、迷いがなく、時間はいつもゆったりと流れていました。


日本はドミニカ共和国のことを開発途上国と呼びますが、ここには日本にはない「豊かさ」が日常にあふれていたのです。


「貧しい人とは、『少ししかモノを持っていない人』ではなく、『もっともっと』と、いくらあっても満足しない人のこと」ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領の地球サミットでの有名なスピーチの一文。


モノで溢れることが自由なのではないとわかっていても、日本にいるとあれもこれも欲しくなってしまうことがあります。でも、あれもこれも持っていることが本当に「自由」なのでしょうか?


物やお金は増やすことができても、時間だけはみんな平等に減っていくものです。


強制されたものではなく、自分の好きなことや選択したことに人生の時間を費やすことこそが自由で、そんな自由な時間をもてることが、きっと人生の「豊かさ」につながるんじゃないかと。


あの頃を振り返って今、私はそんなことを思っています。


10年前のドミニカ共和国での思い出は、不思議と時間がたつほどに鮮明になり、今の私にたくさんの気づきを与えてくれています。



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