「食事」を考える

2022年08月13日


私が食に興味をもったきっかけ

私は食べることが好きで、普段からお肉もお魚もパンもおやつも何でも食べます。

なのでベジタリアンのDONI先生を愛媛にお呼びした時に食事できる場所がわからず、戸惑ったことがありました。

身近で一緒に活動しているコルマドインストラクターのあゆみ先生がベジタリアン、あすみ先生がぺスカタリアンであることもきっかけになっています。

選択は自由なのでそこに特に疑問をもつことはなかったけれど、最近、ヴェーダというインド最古の文献を学ぶ機会が増えて、その知識が「食」とも関係してきたことで興味がわいてきました。



ヴェーダ(Veda)って何?

そもそもヨガがヴェーダという文化の中で生まれたもの。

ヴェーダとは「知識」「知恵」という意味で、インドの歴史の中で育まれてきた教えで、人類最古から伝わるもの、形を変えずに続いているものと言われています。

その教えの中では食事について、お腹がすいたから食べるという単純なアクションではなく食事は心を成長させるための1つのアクションであり、生き方そのものだと考えます。



私たちは選択できる

私が昔、ドミニカ共和国に住んでいた頃のことを思い出しました。道路の真ん中を牛がのんびり歩いていたり、寝ていたりしても、誰もクラクションを鳴らしたり怒ったりせず、車が長蛇の列になって何時間でも渋滞していたことを思い出しました。

彼らは当たりまえのように牛が起きて通り過ぎるのを待っていましたが、自分たちが食べるためだけに牛を扱っていたらこんな彼らのような行動はとれないはずです。

ベジタリアンやぺスカタリアンを選択することは、単なる好き嫌いの問題やこだわりではなく、そこには調和を選択する考えや価値観があるんだということを知りました。




「調和」って何だろう

ヴェーダの話で「摩擦は一人では起こせない、木に身をこすりつけると、木も自分も痛い」という話がありました。


アシュタンガヨガの本にもこんなことが書かれています。「叩いて音を出すためには両手が必要」。片手だけでは音は出せません。誰かが争いを仕掛けてきたとしてもあなたが反応しなければ争いは終わるということ。


ヨガを学んでいるとよく「調和」という言葉がでてきますが、きっと人間関係も食もヨガのポーズも全部同じなんだろうと思います。


「調和」というスムーズな選択があるということ。大切なのはきっと、気づきをもって選択することと、その取り組み方。


9/11(土)に初開催を予定しているアンナダーナのイベントでも、そんなお話しをお伝えできたらと思っています。


<準備中>